参考図書⑬悔いのない人生、死に方から生き方を学ぶ

今日紹介するのは、齋藤孝さんの「悔いのない人生、死に方から生き方を学ぶ」という本です。
いつの日か「死」を迎えることはわかっていても、日常生活ではついつい忘れてしまいがちです。というか、考えないようにしているのかもしれません。臨終の間際に、あれこれ後悔ばかり語るのか、「俺の人生、いろいろあったけど、捨てたもんじゃなかったな」と微笑みながら死ねるのか、できれば後者でありたいものです。
ベストセラー作家でもある齋藤先生が、古人の名言を紹介している本ですが、私が印象に残った件を少し紹介しておきます。

●人間にとって死とは、予測不能の抗いがたい運命である。我々は運命に不意打ちされる、つまり死というものに突然襲われる。(独哲学者ハイデガー)死があるために、私たちは無限の生を生きることはできない。人間は時間的存在である。時間的存在であるならば、人間にとって本来的な生き方とは、限られた時間の中で死を意識しながら生きることである。

メメント・モリ(死を想え)
いつか自分が必ず死ぬことを忘れるな。いつか死ぬということを考えることによって、その来るべき死に対してちゃんと生きようという意識が生まれる。

●まさに現在の一瞬に徹する以外にない。一瞬、一瞬と積み重ねて一生になるのだ。ここに考えがおよべば、ほかにあれこれとうろたえることもなければ、探し回ることもない。この一瞬を大切にして生きることだ。

●道すがら、何とよくからくった人形ではなきや。糸をつけてもなきに、歩いたり、飛んだり、跳ねたり、もの迄も言うとは上手の細工也。来年の盆には客にぞなるべき。さても、あだな世界かな。忘れてばかり居るぞと。(葉隠)

「人は役者、世界は舞台」(シェイクスピア)

●およそ人の楽しむべきこと三あり。一には身に道を行い、ひが事なくして善を楽しむにあり。二には身に病なくして、快く楽しむにあり。三には命ながくして、久しくたのしむにあり。富貴にしても、此三の楽なければ、誠の楽なし。(養生訓)


●仕事をしているうちに何かしらの精神のDNAというものを残そうと試みる。何かを残してきたという自負があれば、自分が60代や70代でリタイアしても、80歳、90歳で「あのとき、ああいうものを残してきたな」と考えることができる

●被投的投企
自分の意思とは関係なくこの世に投げ出された存在であるけれど、その後は自分で自分の未来を決めてつかみ取ってゆくことができる。主体的に行動を選択することができる。


●ここで必要なのは生命についての問いの観点変更なのである。哲学的に誇張して言えば、ここではコペルニクス的転回が問題なのであると言えよう。すなわち我々が人生の意味を問うのではなくて、我々自身が問われたものとして体験されるのである。人生は我々に毎日毎時間問いを提出し、我々はその問いに、詮索や口先ではなくて、正しい行為によって応答しなければならないのである。人生というのは結局、人生の意味の問題に正しく答えること、人生が各自に課する使命を果たすこと、日々の務めを行うことに対する責任を負うことに他ならないのである。(ピーター・フランクル、夜と霧)

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