参考図書⑫ナチュラルハイ(わたしを超えるわたし)

上野圭一さんという方が書かれた本です、初版1996年と少し古い本ですが、ブックオフで出会いました。
いわゆる「ハイな状態」というと、ランナーズハイが有名ですが、ハイにはいろいろなものがあるそうです。
アルコールや薬物もハイになるための方法ですが、ナチュラルハイとはそのようなものに頼らず、自分でエンドルフィン(快楽物質)を生み出す活動を指しています。ハイな状態になる様々な方法が紹介されています。
ストレスの多い現在社会を生きてゆくためには、自分なりのナチュラルハイを見つけて、日々の生活の取り入れましょう。
以下、内容を少し紹介しますが、スピリチュアルな内容も多く、気をつけないと帰って来れないかもしれません。

●現代のあわただしい日常生活のなかでは、どうしても交感神経が支配的になり副交感神経が抑制されがちになる。また、大脳の新皮質が働きすぎて、旧皮質や脳幹とのバランスも失われがちになる。そこで、ときどきハイになって副交感神経や旧皮質、脳幹などを活動させバランスを回復する必要がある。

●飲酒、音楽、ダンス、グルメ料理、セックス、スポーツ、ドラッグ、催眠、大自然との触れ合い、ヨガ…
アルコール産業、製薬産業、娯楽産業、セックス産業などは、わたしたちのそうしたハイへの潜在的欲求の上に成立している。

●上記産業や有害なドラッグなどに頼らずに、からだがつくりだす「自家製ドラッグ」(エンドルフィンなど)で自然に到達するハイ、ハイの経験がそのまま健康や治癒につながるような「からだにいいハイ」、人間としての成長に役立つような「こころにいいハイ」、それを「ナチュラルハイ」という。

●ハイな状態
自分と周囲のものとの区別がつかなくなる。
意識がからだから外へ流れでていくような感じがする。
自分をとりまく空間といったになってしまったような感じがする。
自分があらゆる世界とひとつにつながっていると感じる。
歴史全体と一体となったような気がする。
疑問だったすべてのことが一挙にわかってしまったような気になる。
「永遠の現在」を実感する。


ここからは、人はなぜハイな状態を求めるのか、その理由について書かれたものです。

わたしたちのからだをつくっている物質の材料はすべて星のかけらからできている。地球だけでなく、宇宙で誕生と死をくり返してきた星々の小さな破片が地球に到達し。空気や水やたべものをつうじてわたしたちのからだに入り込み、からだのそこここに流れ、あるいはしばしば定着して、「いのち」を営んでいる。あなたの耳たぶのタンパク質をつくる炭素原子の一個は、かつてどこかの星雲の一角を占めていた無名の星のかけらだったかもしれない。

●仮の宿。星のかけらはわたしたちのからだをつくる成分となって、ずっとそこにとどまっているわけではない。入ってきた物質は役目を終えていずれ外に出ていく、いや、宇宙に帰っていく。それが、わたしたちの「いのち」の仕組みである。

●からだをつくっている10の28乗個もある原子は、時間が5年もたつと最後のひと粒まですべて入れ替わっている。5年前とはからだをつくる材料がすっかり別のものになっている。変わりなく続いているのはDNAの設計図に記憶されている形状やパターンだけなのである。

 10,000,000,000,000,000,000,000,000,000

●専門家の計算によれば、わたしたちの一回の呼吸によって取り込まれた空気の中には、過去2-3週間のうちに他の人たちによって呼吸された10の15乗個の原子と、これまで地上に生きてきたあらゆる人たちによって呼吸された100万個以上の原子が含まれている。クレオパトラや楊貴妃、ソクラテスや老子、亡くなった祖母や父親が呼吸した息の一部を、いまあなたが呼吸している。

●物質的に見れば、わたしたちはみんな星からできている「星の子」である。わたしたちの出自が宇宙のあらゆる時空に存在した星であり、宇宙がわたしたちのからだを通過し、旅している以上、たとえ生まれた土地にとどまっているとしても、いまここにあるわたしたちは、物質レベルでいえば、そのまま宇宙を旅する存在なのである。

●あなたをつくっている物質の一部は、あなたが気づかないあいだに樹木の一部になったり魚の一部になったり、宮中や水中を漂っていたり、わたしたちの一部になっていたりする。握手するだけでも何千という手の皮膚細胞のかけらが空中に飛び散り、よく掃除の行き届いた部屋に舞うほこりの70%は人間の皮膚細胞のかけらであり、わたしたちはそれを知らずにそれを吸って生きている。これがわたしたちの現実であり、この現実に気づくと、「わたし」という存在の境界がにわかにあいまいになってくる

●「わたし」とは、どこからどこまでをいうのか?

●わたしたちの内部にはつねに、恣意的にきめられた自己の限界をこえて大きくひろがろうとする衝動が隠れている。「自己超越」への衝動。宇宙に還りたい衝動ともいえる。

自己超越は「わたし」が「からだ」のふるさとである宇宙に一歩近づくときに起こる、一種のエクスタシー体験である。(エクスタシーの字義は、わたしの外側に立つ)英語では、その一過性の自己超越感覚のことを俗語で「ハイ」という。ある意味、危険な衝動であり、国家主義や全体主義に酔う国粋主義者が生まれたり、自分が所属する会社を「ウチの会社」と呼ぶ企業戦士、社畜が生まれたりする。ドラッグの影響で、何の用意もなくいきなり超越的存在や宇宙全体との同一化がはじまると、一種の錯乱状態になって、精神科医やサイコセラピストの世話になってしまう。

●たいがいの人は自我を強化し、理性的に生きることによって自己超越への衝動を抑えている。が、つねに自我や理性を中心にして生きる生き方には、どこか無理がある。「わたし」を皮膚の内側にしばりつけておくことからくる無理がある。だから、わたしたち無意識のうちに自我の監視の目を盗んで、ときどきそれまでの「わたし」を忘れるようなふるまいをする。

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